「会社」その閉鎖された居場所

会社という場所では、同じメンバーが同じ目的に向かって、組織の中で日々行動し続けている。その中で独自の価値観や方法が育まれる。そして歳月、世代を経て受け継がれる。

そこは非常に狭く隔離された場所だ。その中での考え方や慣習が世間一般の常識を大きく外れても、その中ではみんながそうだから違うとは気づかない。

 

本社やあちこちにある支社の間で転勤があったり、他社との交流が多かったりする大企業ではそうではないのかもしれない。しかし、地方の会社はほとんどが、転職しないかぎり「会社」は閉鎖された「コミュニティ」となる。

往々にして年配者は、いやいや30代40代、さらに20代の人でさえ、「会社」の方針に身をゆだねる人たちは、自分が閉鎖された環境にいるとは気づかない。

そして転職してそこから出ない限り、かたよっていく己の「常識」を培い続けていく。先輩となり上司となって、「常識」「価値観」を、新入社員に「教育」として教え込む。

 

一方、最近はコンプライアンスや人権尊重が机上の空論ではなく、現実としてやっと求められてきていると私は思っている。そういう教育をされてきた若い人ほど、それが普通だろうと思って会社に入ってくる。

だから会社の方針や現実に、新入社員は疑問を感じる。近頃、入社間もない若い人が辞めることが多い所以(ゆえん)だと、私は思っている。

ここで、新入社員があげた声に耳を傾けてくれる会社は、いい方向へ舵を取れる可能性がある。ところがそうでない会社がある。

声をあげたものを「上を批判した。」と悪者扱いしてつぶそうとする。またはそれ以前に、声すらあげることが不可能な状況もある。

 

今年メディアに取り上げられたビッグモーター、旧ジャニーズ、日大、宝塚、など、形は違えど、根本は似ていると思う。私がいる環境もそうだから、私はそれが想像できる。

理想的な風通しがいい会社や環境に身を置いている人は、「声をあげるべき」「指摘すればいいじゃないか」と言うだろう。だが、そういう会社の上の権力、圧力は、本当に絶大なのだ。

 

世間一般からは外れていることに気づかず、それを良しとし長いものに巻かれていく人たちは、それはそれ、いいとも悪いとも私には言えない。

違う、おかしい、それは嫌だ、と考えたとき、もちろん上がそれを聞いてくれれば越したことはない。

そうでない場合は、抗議して弾圧されるか、または抗議を諦めて見切りをつけ自分が去るか、だ。

 

そしてその旧体制の組織が根本的に変わる方法は、世間が周知のとおり、メディアが取り上げて騒ぎ、世論を盛り上げるしか手はない。

すべてのそういった組織をひとつひとつメディアが取り上げて改革していくのは、気が遠くなる話だ。そう考えると私は、見切りをつけるのが手っ取り早い気がする。

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